この1年を振り返ると、毎日、県政にかかる取り組むべき問題が、いろんな分野で発生するということを痛感しました。そういった問題について、一つ一つ解決をし、また改善をしていくことが、県民の皆様の安全な暮らし、そして県の発展に繋がっていくのだろうなという気持ちを改めて新たにしています。
具体的には、新型コロナウイルス感染症の感染状況が昨年の9月以降も厳しく、その感染拡大防止と経済の回復の両立を目指していくということを念頭に取り組んだ1年でした。
また、現在も続いている原油高・物価高騰についても、その影響を大きく受けている業種もあり、これからも状況を注視して、必要な対策を機を逸することなく続けていかなければならないと思います。
中長期的な点として一番力を入れていることは、「少子化対策」「産業の振興」「観光の振興」の三本柱です。
まず、「少子化対策」については、経済的負担の軽減、孤独な子育て世帯の相談を受ける拠点の整備、さらに社会全体で子育てを応援する体制を進めてきているところですが、この1年間においては、「子ども医療費の無償化」について、県での小学3年生までの無償化の助成を受けて、県内全市町での高校までの無償化が実現しました。また、「県立高校の冷暖房経費の県費による対応」についても実施できました。さらに、「第3子以降の学校給食の無償化」については、現在進めているところであり、9月議会に補正予算の提案をして、令和6年1月からの各市町における実施につなげてまいりたいと思います。
今後、共働き、共育てができる社会環境を作っていくことに焦点を当て、まずは、育児休業等の取得ができるような環境を作っていくことが重要であると考え、8月には、県内の各経済団体とも協定を結び、一緒になった子育ての支援の推進を目指しております。
少子化対策については、一つ一つ進めてきていますが、これからも力を入れて切れ目ない対策を継続して行っていくことが重要と考え、取り組んでまいります。
次に、「産業の振興」に関して、私は、香川県の経済発展を長く続けるため、香川の産業基盤をしっかりしないといけないと強く思っています。瀬戸内という非常に運搬に恵まれた地の利、それを生かしてこれまでも多くの企業が香川県に立地をしてきており、これをさらに拡充していくとともに、現在、国内回帰の流れの中で進んできている企業立地を香川に持ってくるといったことに傾注してきました。
具体的には、「せとうち企業誘致100プラン」を今年3月に策定をし、積極的な企業立地に努めております。その中で特に全国初となる「カーボンニュートラルポートの形成に資するようなエネルギー関連の企業への追加的な支援策」「民間企業の行う工業団地の土地造成への支援」という2つの全国初の支援策も取り入れました。
これまでに日本IBM社が高松市内に「地域DXセンター」を開設する事例も出ており、令和元年度から3年度までで計4件であったものが、この1年で8件の立地が実現しましたので、今後とも力を入れていきたいと思います。
企業の誘致において、忘れてはならないのが「人材の確保」です。現在どの業種も全国的に非常に人材不足が経済の足かせになってきている状況ですので、この点について、経済界と連動して進めていきたいと思います。
また、県産品の特に農業、畜産業、水産業において、香川ブランドが確立されてきているものが増えていますので、これらについて「国内外の販路拡大」をしっかりと進めたいと思います。
三つ目の観光振興では、特に「高松空港の国際線を活用したインバウンドの誘客」を進めてきました。新型コロナですべて休止になっていた国際線4路線の再開について、就任当初から早期の再開を目指し、今年9月には4路線すべてについて再開することができました。まだ便数については、以前の状態に戻ってないところがありますので、さらに進めていきたいと思いますし、これから新たな新規路線の開拓にも力を入れたいと思います。
また、瀬戸内の魅力というのが香川県の魅力の大きなポイントで、その中でも島というものが、瀬戸内国際芸術祭の力もあったかと思いますが、国際的な評価が高く非常に観光の財産になっています。この島への観光をもっともっと伸ばすために「島へ行こうキャンペーン」をこの秋以降実施し、県内の人も含めて島へ多くの方に往来してもらえるよう進めています。
2年後には大阪・関西万博が開催されますので、そのチャンスを生かして、インバウンドのみならず、また、日本全国から大阪への訪問をさらに香川にも伸ばしていただき、新型コロナ発生前以上の観光客に伸ばしていきたいと思います。
さらに、香川県の魅力として高松市丸亀町を中心としたまちのにぎわいが全国的に知られていますが、それに加えて、「サンポート地区のにぎわい拠点の設置」にも力を入れたいと思います。
以上のような施策を中心に、「経済の発展」と「県民の安全な暮らしの確保」を満足できるように、しっかりと進めてまいりたいと思いますので、ぜひ引き続きのご支援をよろしくお願いします。
私は、1961年に高松市の栗林公園そばで⽣まれ、花ノ宮町の四電社宅から小中高に通いました。草野球に明け暮れた⼩学⽣時代、バスケットボールに打ち込んだ中⾼⽣時代、毎年楽しみにしていた⾼松まつり、毎⽇⾷べたうどんと思い出は尽きません。
その後、建設省(現国⼟交通省)に⼊り約35年間、安全‧便利な地域づくりに携わってきました。⻑崎県庁への出向を始め、妻と⼦供4⼈とともに引っ越しを10回重ねながら、全国各地の暮らしや経済の課題を肌で感じ、その改善に取り組んでまいりました。
この間、その経験を郷土のために活かすことができないかという想いはいつも心の中にありました。